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「アフリカ」という言葉の意味を再考する

「アフリカは国ではない、大陸だ。」という言説について思うこと。

October 4th, 2020

アフリカという言葉を使う意味はない?

「アフリカは国ではない。アフリカは大陸だ。」

今でも、多くの人々がアフリカという言葉を聞くと、貧困に苦しむ無垢な子供たちや紛争や貧困が蔓延するイメージや、逆に急速な経済成長を成し遂げているイメージを、一面的に想像することが多いように思われる。所謂、アフリカ悲観主義、アフリカ楽観主義という考え方だ。こうしたアフリカを一枚岩なもの、つまりここで言うところの「国」として描く姿勢は、しばしばメディアで当たり前に表象されている。この言葉には、こうした姿勢に対する批判がこめられている。「大陸」と言う言葉によって、以上の姿勢が無視してきた多様性を強調し、その立場の不十分さを警告している。

しかし、こうしたアフリカを「国」として捉える姿勢を批判することは構築主義的なジレンマに陥りやすくなるとも思うのだ。つまり、アフリカと言う言葉が西欧的な立場から物事を見るために恣意的に構築された幻想だとするならば、この言葉を用いることにも全く意味がないように思われてくる。

ただ、この言葉で本来目指されていたことは、アフリカを「国」として捉える姿勢の批判と、「大陸」として捉える姿勢の擁立である。そのため、アフリカという言葉を使う意義が全くないと断定することは、前者の批判のみを優先させ、後者の意義を見落とした早急な結論と言うべきだろう。そこで、本稿の主題であるアフリカという言葉を使う意味を問い直す必要が出てくる。

歴史とパン・アフリカ主義思想をヒントに考えよう

アフリカ諸国は列強の苛烈な植民地支配を経て独立を勝ち取った。植民地支配の下、宗主国は分割統治を行い都合よく統治し搾取できるよう、ナョナリスティックな、及び国際的なアイデンティティの育成を阻止し、エスニックなアイデンティティを構築し対立を煽った。

この潮目が変わるのは主に第二次世界大戦以降だ。西欧で教育を受けたエリート層を中心に、エスニックな分断を超えた一様なネーションを作る試みが加熱し、各国が政治的自由と独立への道を歩み始める。

ここで個人的に注目したいのは、独立期のパン・アフリカ主義思想だ。パン・アフリカ主義とは、アフリカでの連帯を志向するもので、ンクルマやセクトゥーレといったナショナリストらに代表される思想だ。これは、宗主国や東西陣営からの政治的、経済的独立を獲得する上で大きな意味を持っていた。(広い意味で、第3世界や、アメリカの公民権運動や中南米の民主化とも関係するわけだが。)

植民地支配の残した影響は計りしれない影響を残した。独立の際、基本的に植民地時代の国境線が維持され、その後も植民地支配の下利用されたエスニックなアイデンティティは継続して分断と統合の力を保持していた。そのため、パン・アフリカ主義が志向した世界はすぐに実現可能なものでもなかった上、批判的に見るならば唯の理想主義にも見える。

しかしここには、西欧的に構築された「闇の奥」としてのアフリカではなく、共通する経験や文化に裏打ちされたアフリカらしさ(Africanity)を内面化する試みを感じる。

現代から積極的に意味を見出そう

現代においても、アフリカは経済、地政学、文化的な単位として、一定の意味があるように思われる。 アフリカ連合(AU)や西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)は、アフリカ的な地域統合や集団安全保障の試みだ。最近では大陸全体の共通市場を目指したアフリカ大陸自由貿易圏(AfCFTA)も動き出した。

そもそも、文化レベルで考えると、列強によって直線的な国境線で分割される以前、アフリカ大陸では異なるエスニック集団が高い流動性を持って共存、対立関係を築いていたと言われる。結果、エスニック集団が「近代国家」的国境を越えて分布する状況や類似した文化や言語が広範に存在する状況を生んだ。こうした文化的グラデーションの存在は、アフリカとしての経済、政治、アイデンティティを構築する基盤となっているように思われるのだ。(サハラ砂漠が文明を分けてきたという議論も存在するが、交易網が存在してきたことから、その議論が完璧ではないことは自明だろう。)

そのため、現代においても、アフリカという単位には一定の意味があるように思われる。

結論

以上の議論あくまでも「アフリカ」という言葉を使う意味を強調したリベラルな観点からの議論であり、より批判的に見れば単なる理想主義であり、ロマンティシズムなのかもしれない。そのため、少なくとも注意深く「アフリカ」という言葉を使うべきという点では合意可能だろう。

私個人の意見は以下のようにまとめられる。

「アフリカ」という言葉を用いることで意図せず偏見や認知的バイアスをかける恐れがある。 しかし、「アフリカ」という言葉を用いることで捉えることが容易になる政治、経済、社会、文化、思想の潮流も存在する。

思うに、54か国からなるアフリカを一つの言葉で括ること自体が、無謀とまでは言えなくとも、極めて野心的な試みなのだ。このことを自覚しつつ、しかし過度な相対主義に陥ることなくアフリカという言葉を用いたい。

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© Hiroki Kameyama