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90年代までのガーナの医療制度史

ガーナにおける医療制度を、植民地期以前の15世紀から1957年の独立に至るまでの「独立以前」、1957年の独立から80年代にローリングス政権が成立するまでの「独立後」、ローリングス政権が成立した1981年から民政移管が成された1992年に至るまでの「構造調整期」の3つの時期に大別し、先行研究の議論を整理する形で概観する。

August 23rd, 2020

 ガーナの近代医療制度は1957年の独立時、1980年代の構造調整期に大きく方針転換した。そこで、本章ではガーナにおける近代医療の広がりと医療制度の変遷を形式的に以下の三つの時期に分けて概観する。まず、最初の時期は植民地期以前の15世紀から1957年の独立に至るまでの「独立以前」だ。近代医療が現在のガーナに当たる地域に伝わり、植民地統治において近代医療制度が次第に整備、拡張されていった。独立の機運が高まった植民地後期には、イギリスにおける国民保健サービスの成立から影響を受けて、利用者負担を原則無料とする医療制度が構想されることとなる。次の時期は1957年の独立から80年代にローリングス政権が成立するまでの「独立後」である。「独立前」の医療制度の構想を踏まえ、利用者負担を無料とする医療制度が実際に導入された。しかし、国内経済の停滞と共に制度の財政的問題が顕在化する。最後に、ローリングス政権が成立した1981年から民政移管が成された1992年に至るまでの「構造調整期」だ。この時期、ガーナ経済は危機に瀕し構造調整政策の導入を余儀なくされる。医療制度もこの影響を不可避に受けることとなり、医療サービス、医薬品の原則全額負担を軸とする制度が導入された。

 以下、先行研究の議論を整理する形で、それぞれの時代区分における医療制度の歴史的推移を論じる。

1. 独立以前(〜1950年代):近代医療の伝播、医療制度の確立と限定的拡大

 現在のガーナにおける近代医療の始まりは、植民地期以前の15世紀にまで遡ることができる。大西洋奴隷貿易が発展しヨーロッパ人が続々と黄金海岸に進出する中、奴隷の健康管理を行う目的で医師が近代医療を持ち込んだ〔Arhinful 2003:27-28〕。

 19世紀、列強によるアフリカ分割が進む中、イギリスは現在のガーナ共和国に当たる地域を英領ゴールドコーストとして植民地化していった。当初は入植者に対する医療サービスの提供を目的に医療制度は整えられ、次第にこれは現地の公務員や軍人といった現地人に対しても拡大された 。植民地政府は、拡大家族といった伝統共同体の社会保障機能を補完するという基本方針の下、教会やボランティア組織、地域共同体と言ったプライベートセクターとの協業を通して、最小限のコストと分散型のアプローチによる社会福祉政策を推進した〔McLean 2002:70-71〕。ただし、これらの医療サービスが対象とするのは少数の「脱民族化された都市部のアフリカ人」〔ibid.〕に過ぎず、近代医療が浸透した植民地後期においてもサービスは質量ともに不足していた〔Arhinful 2003:38〕。

 第二次世界大戦を経て、旧英領植民地では独立への機運が一層高まることとなる。英領ゴールドコーストもこの例外ではない。イギリスもこうした動きを認可せざるを得ず、1951年には新たな憲法のもと初の普通選挙となる立法議会選挙が行われた。この選挙では、アフリカ・ナショナリズムの父と名高いンクルマを党首とする会議人民党(Convention People’s Party:CPP)が圧倒的勝利を収め、その後の選挙でも勝利する。CPP政権はイギリス政府との連携を通じて医療制度改革を行うこととなる。Arhinful〔2003:40-42〕によると、アフリカ化されたゴールドコーストの保健省は、イギリスの国民保健サービスの立案に携わったモード(John Maude)の協力を得て、宗主国同様、原則利用者負担を無料とする医療制度を策定した。しかし、この政策は税収入による医療費負担や累進的な課税制度を持たないゴールドコーストの実情を踏まえた現実的な政策とは言い難く、その後財政的課題として顕在化する。

2. 独立後(1950年代〜80年代):利用者負担の無償化と医療制度の行き詰まり

 1957年、英領ゴールドコーストはガーナとしてサハラ以南で初の独立を達成した。前節で言及した通り、CPP政権は利用者負担を原則無料とする医療サービスの普及を目指した。民間医療機関はサービス利用時の利用者負担方式を継続した一方、政府は公的機関の医療サービスの利用料を税金から捻出し利用者負担の無償化を実現した〔Agyepong and Adjei 2008:154〕。しかし、その後の国際カカオ価格の低迷と生産の停滞による経済危機を受けて財政が逼迫したことで、医療制度の財政的課題が顕在化した。加えて、政府は経済危機を受けて外国為替の流出と輸入に規制を課しため、国内の医療品や薬剤の不足が深刻な問題となった〔Arhinful 2003:45;Senah 2001:86〕。

 ンクルマ政権の政治、経済面での失策が濃厚となると、1966年クーデターが起こされ政権は倒された。これにより成立した国家解放評議会(NLC)政権は1969年に選挙を実施し、統一ゴールドコースト会議(United Gold Coast Convention:UGCC) と統一党(United Party:UP) の流れを汲む進歩党(Progress Party:PP)が勝利し、ブシア政権が樹立された。ブシア政権は医療費の削減に着手し、1969年病院料金令(Hospital Fees Decree 1969)、1970年病院料金法(Hospital Fees Act 1970)、1971年病院料金法(Hospital Fees Act 1971)を制定し、最小限ながら利用者負担制度を再導入した。これは原価回収と不必要な医療サービスの利用を防ぐことを目的としたが、さらなる国内経済の不振を受けて、根本的な医療制度改革とはならなかった〔Arhinful 2003:46;Agyepong and Adjei 2008:184;Carbone 2011:388;Waddington and Enyimayew 1989:18〕。そのため、医療制度をめぐる財政問題は根本的に解消されないまま存続した。

 1972年、ブシア政権は軍事クーデターによって倒され、アチャンポンを国家元首とする軍事政権が樹立されたが、医療制度面では大きな変化は見られなかった。次に大きな改革が行われるのは構造調整政策が本格的に導入された80年代のローリングス政権だ。

3. 構造調整期(1980年代〜90年代):「キャッシュ・アンド・キャリー」の成立

 1979年、アチャンポンを国家元首とする国家救済評議会(National Redemption Council:NRC)がクーデターによって放逐されると、ローリングスが政権を握り一時民政移管がなされた。しかし、1981年ローリングスは再度クーデターを起こし、自ら国家元首に就任し暫定国家防衛評議会(Provisional National Defence Council:PNDC)を組織した。PNDCは当初左派ポピュリスト的な姿勢を見せたが、国内経済の再建が急務となり1983年からIMFや世界銀行の構造調整政策を受け入れることとなる。

 構造調整政策の採用により、医療制度も必然的に影響を受けることとなる。1985年、病院料金規制(Hospital Fees Regulations 1985)が導入された。新たな規制の下、一部の治療と免除対象 を除き、医療サービスと医薬品の原価に対する完全な利用者負担が実現された。Waddington and Enyimayew〔1989:17-18〕やSenah 〔2001:86〕が指摘することに、世界銀行や保健省は利用者負担の促進が利用者の医療サービスへのコスト意識の改善や医薬品の過剰処方の防止、医療機関のインセンティブの増大をもたらし、医療サービス不足の解消や公平なサービス提供につながると考えていた。しかし、この結果、公的医療機関における利用者負担料は跳ね上がり、医療アクセスの更なる金銭的不平等を助長する結果となった。

 その後、バマコ・イニシアティブ を受けて、1992年ガーナにおいても回転基金 が設置された〔Arhinful 2003:47-48;Carbone 2011:389〕が、大きな成果は得られなかった。また、同年、自治体レベルでの医薬品管理を効率化するため医療機関自ら医薬品の代金を払う方式が導入された。これは一部医薬品供給状況の改善につながったが、運営上の問題によりサービスの質には悪影響を与えた〔Arhinful 2003:48〕という評価がなされている。

 以上のように構造調整期に形成された過酷な利用者負担を強いる医療制度は、一般的に「キャッシュ・アンド・キャリー」(Cash and Carry)と呼ばれている。言葉の字義通り、医療機関で受診するためには多額の現金を持ち歩く必要があることを示している。

参考文献

  • Agyepong IA, Adjei S. (2008). Public social policy development and implementation: a case study of the Ghana National Health Insurance scheme. Health Policy Plan, 23(2), 150-160. doi:10.1093/heapol/czn002
  • Arhinful DK. (2003). The solidarity of self-interest: social and cultural feasibility of rural health insurance in Ghana. University of Amsterdam, doctoral thesis.
  • Carbone, G. (2011). Democratic demands and social policies: The politics of health reform in Ghana. The Journal of Modern African Studies, 49(3), 381-408. doi:10.1017/S0022278X11000255
  • MacLean, L.M. (2002). Constructing a social safety net in Africa: An institutionalist analysis of colonial rule and state social policies in Ghana and Côte d’Ivoire. St Comp Int Dev 37, 64–90. doi:10.1007/BF02686231
  • Senah, K.A., (2001). In sickness and in health: globalization and health care delivery in Ghana. Research Review of the Institute of African Studies, 17(1), 83-89. doi:10.4314/rrias.v17i1.22902
  • Waddington, C.J., Enyimayew, K.A. (1989). A price to pay: The impact of user charges in ashanti‐akim district, Ghana. Int. J. Health Plann. Mgmt., 4: 17-47. doi:10.1002/hpm.4740040104

コメント

 ガーナは国民健康保険(NHIS)を2003年の段階で導入している。保険の運用面、財政面に関しては制度成立直後から議論されているものの、現在国民全体のおよそ40%ほどが保険に加入(Activeな状態の保険加入率)している。これは他のアフリカ諸国と比べると比較的高い数値である。また、国民に対して同一の保険内容を国家が税金を財源として提供しているという点も興味深い。そのため、保険医療政治(Health Politics)や医療人類学、医療経済学においても、NHISは盛んに議論の対象とされてきた。

 このポストでは、しばしばこの議論の下地となる医療制度の歴史的展開をできる限り簡潔にまとめた。ただし、これらの制度改革を、誰が、いつ、どこで、なぜ、どのように可能としたかをめぐり、様々な解釈が可能だ。この点に関しては、詳しくは参考文献に当たることをお勧めしたい。

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© Hiroki Kameyama