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2020年年末に考えたこと

どうせ苦しみ悩みながら生きるしかないのなら、その過程を楽しんだ方が何倍も生きやすいだろう。

December 31st, 2020

公私の空間が統合された現代の大衆社会の中で、そして個人主義と自己責任が浸透した資本主義の中で、これまでは共同体や家族、所属するコミュニティを媒体とする機械的連帯によって動いていた原理が、有機的連帯によって代替されていく。人は個性やアイデンティティを求められると同時に、終わりのない多様性や多元主義の要請は人を苦しめ意味を剥奪していく感覚を伴う。Only Oneはポジティブな「世界に唯一」とも捉えられるし、ネガティブな「全体に対してほとんど無意味」とも捉えらる。意味がなくなった世界には実存的な絶望しか待っていない。新たな現代版『人間失格』の物語が始まる。こんなニヒリズムから這い上がれなくなった人へ、自身への訓戒も込めてこの文章を書きたい。

現代、社会や世界は多極化している。その結果、一つの変数を動かしても状況が好転するか悪化するか簡単に予測がつかない状況が生まれている。こんな時代だからこそ、個の生の価値もわからなくなる。生きているだけで意味があると信じたいが、信じるのが難しくなる。世の中が複雑になり、一つの物語で説明することが不可能となり、努力と成功の因果が消え失せた社会は公共空間だけでなく私的空間をも蝕んでくる。この悩みの言語化には無数の種類があるだろうが、こうした類いの悩みを持つ事は、一般的に共通していると思われる。その点、君も僕も一人ではないと安心して良い。君の悩みでもあるが、それは私の悩みでもあり、つまるところ現代に生きる人が抱える悩みなのだ。同じ悩みを持つのは、僕たちが置かれた環境が似通っているからだ。

そもそも、生きるとはなんなんだろうか?右に行っても左に行っても辛く過酷な道が待っているとすれば、その時どういう行動をとるべきなんだろう。水をあげたら確実に死ぬことがわかっているのに水をあげることに対して、善悪判断を介在させる余地なんて存在するのか?信仰を捨てて生き延びた人と信仰を持って死んでいった人のどちらかかを正しいと断定することはできるのか?おそらくそんな質問に対する答えなんてないだろう。そこにあるのは事後的な結論だけだ。こういった同時的に客観主義を挟み込む余地がない空間において、人間とはなんなのか、生死とはなんなのかという根源的な問題が容赦無く答えを求めてくる。

そんな時、頼りになるのが科学と宗教だ。科学は新しい因果の地平線を開き、宗教は運命論的な生の意味を付与する。しかし、この状況を打開する方法は他にないのだろうか?また、上であげたような究極な状況を想定すると、これは十分な回答になっていないように思われる。そこで、芸術や人間の精神性を復権する方法を模索したい。ルネッサンスのような人間中心主義や近現代の実存主義に立ち返ればうまくいくという話ではないだろうが、新しい哲学が必要とされていることは確かなように思える。

ここ最近一種のノイローゼのように考えてきたが、生きる意味や死ぬ意味なんて所詮限られているという思考に収束してきた。例えば、どうにかして自分の存在を前提にしながら、「愛するもののために生きる」、「自分の大志のために生きるという」といったありきたりだが尊い目的を探索していくしかないのだろう。言い換えると、愛と精神に生き、死ぬということだ。

ただし、これ以上意味を固定し固執することべきではないのかもしれない。生きる意味を正確に求めだすと、自らよりも大きな理念や目的の奴隷となるか、生きる意味を見出せずに死を選択するか、尊厳を失い生き続けるかを、選ばされるようにも思われる。どれを選ぶことも避け、愚直な視線を持つことが大切だ。何十年もかけて自らの意味を充実させていく道のりを楽しむことができたら大往生だ。君も僕もそうやって悩みながら生きるしかない。先人が言うように、人生なんて結局辛いものが多い。どうせ悩み恐れるなら、その過程を楽しんだ方が格段に生きやすい。

では、なぜこんな一見簡単に見えることを実践するのは難しいのだろう?いくつか想定される場面に基づいて、手前味噌な人生論を語りたい。不快だったら読み飛ばしてくれて構わない。

① 例えば、社会に分業、ヒエラルキーといった官僚制的な制度が浸透したことで、労働生来の価値、つまり生きることに直結する喜びのようなものが、曖昧になりやすいのだろう。こうした悩みには、今は辛くとも志を捨てるな、初心を忘れるなと言いたい。与えられたものにも良いものはあるはずだ。本当に辛ければ逃げれば良い。

② お前には無理だとか、お前なんて無力だという無言の声を受け続けることで、自分の信じていた自分の可能性を知らず知らずの内に封印してしまうこともあるだろう。そういった声に対しては、自分たちの結果で答えていくしかない。そんな他者から学べるものを盗み、努力して自分を鍛えあげれば良いだけだ。

③ 経済低成長、超高齢化社会、人口減少へと向かう日本という国や終身雇用制が崩れた企業制度から、自分の先行きに不安感を投影してしまうこともあるだろう。こういった不確実な時代の中、少数の人が勝ち組になる態度ではなく、全員で苦しみを分かち合う態度が求められている。安寧の選択など元来存在しない。

④ 自分がコントロールできないものによって、不利益や利益を被っている場合が存在する。特に不利益を被った時に初めて自覚するものも多い。例えば、社会属性や生まれながらにして持ったもの、自分が干渉できない環境から目の前の選択肢が突然無くなったら、とても落ち込むと思う。今すぐにそれを変える事はできず、声に出す事もできないかもしれないが、いつか自分が変える側になると信じてその違和感を持ち続けて欲しい。それがいつの日か力になると思う。

⑤ 受け止めてくれる家族や隣人からも離れた孤独な戦いが待っているかもしれない。出る杭になろうとするなら、人よりも辛い道が待っているだろう。だから、せめて僕くらいは挑戦する人の成功する可能性も、失敗する可能性も信じて、お節介でもその人の背中を押したいと思う。その人の成功を祝い、その人の失敗に共感するのが僕の役目だ。

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© Hiroki Kameyama