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感想:調布市平和映画・朗読会

調布市が開催した平和映画・朗読会に参加し、「ヒロシマ・ナガサキ最後の二重被爆者」の上映、『原子野に生きる』の朗読、二重被爆者、故山口彊(つとむ)さんの孫であり現在語り部として活躍する原田さんのお話を聞いた。参加してみて考えたことを簡単にまとめた。

August 6th, 2020

 調布市が開催する平和映画・朗読会に参加し、「ヒロシマ・ナガサキ最後の二重被爆者」の上映、『原子野に生きる』の朗読、二重被爆者、故山口彊(つとむ)さんの孫であり現在語り部として活躍する原田さんのお話を聞いた。

 被爆者自身の語りは強烈な感情を沸き起こす。彼ら・彼女らにとって戦争は過去の記憶ではない、現在進行形の問題だ。戦争体験は当事者にとって永遠に消えない精神的・身体的な苦しみを刻み込んだ。戦後、日本社会からは被爆者という烙印を押され、二次被害に苦しだ。また、「被爆者」と「被爆者ではないもの」の間の境界線をめぐる問題は、戦後75年の現在も「黒い雨」裁判として続いている。これらの事実は、被爆者をはじめとした戦争経験者にとって、戦争は今なお進行形の問題であることを示している。当事者のみならず、現代を生きる私たちにも、この問題を風化させずに向き合う倫理的責任がある。このイベント全体を通して、私はこのことを再確認した。

 このポストでは、イベントに参加して私が学んだこと、感じたことについて少しでも共有できればと思う。読んでくださった方々に少しでも考えるきっかけを提供できると本望だ。

「ヒロシマ・ナガサキ最後の二重被爆者」を見て

 恥ずかしながら、私は二重被爆ということについて、全く知らなかった。言葉からは広島と長崎で被爆した人ということは容易に推測できる。しかし、二重被爆という問題について、ましてや当事者の壮絶な経験や葛藤について、全くの無知であった。この作品は山口彊氏をはじめとする二重被爆者の語りを通して、私にこの問題について考えるきっかけをくれた。

 「ヒロシマ・ナガサキ最後の二重被爆者」は稲塚秀孝監督のドキュメンタリー作品だ。広島、長崎の両都市で被爆し晩年核兵器廃絶活動に従事した山口彊氏の語り部活動やその継承から、二重被爆という問題にスポットライトを当てている。この作品は、二重被爆の背景にある構造的要因として、第二次世界大戦の総動員体制の存在を示唆している。当時、広島や長崎には三菱重工業の造船所や兵器製作所が存在し、多くの技師や学徒、徴用公が軍需産業に動員された。事実、二重被爆者の方々の多くが技師や動員学徒、徴用公であったそうだ。

 この二つの都市の持つ社会構造の共通点は、「二重被爆者 = 不運な人」というパラダイムへ疑問を投げかける。確かに、長崎の原爆投下は第一目標である小倉の気象状況が条件を満たさなかったため行われたとされる。そのため、偶発的(※ ここでは人間の意思でコントロールできないという意味。)な条件が介在していることは否定できない。このような考えを拡張すると、広島での被爆体験の後長崎に向かい二重被爆した方々は、強烈な不運に苛まれた被害者像が想定される。しかし、上記の共通点を踏まえると、異なる解釈可能性が開かれる。つまり、結果的に原爆は投下されたのは広島と長崎だったが、当時軍需産業の拠点となっていた都市全てに原爆は投下される可能性はあり、二重被爆は単なる不運として還元できないということだ。問題とされるべきは、原爆の非人道性はもちろんのこと、第二次世界大戦の総動員体制、戦争そのものの残虐性なのかもしれない。

歴史の複数性を受容して語る重要性

 映画を視聴した後に『原子野に生きる』の朗読を聞いて改めて感じたことは、歴史や現実は非常に複雑であるということだ。学校の歴史の授業で習う「史実」から構成される第二次世界大戦と、当事者の経験から構成される戦争経験の語りは厚みが違う。エノラ・ゲイから原爆を落とした者のみた景色と、地上で原爆の被害に遭いその後被爆者として苦しんだ方々に刻み込まれた原子爆弾の経験は、同じ現実とは思えないほど異なっている。原爆は終戦のための必要悪であったとする戦勝国の人々と、原爆は非人道的でありどのような理由であっても許されないと考える日本の人々の間では、異なる歴史認識がされている。ここで言いたいことは、比較する軸は無数に存在しつつも、歴史は個々の経験の集積が個々の史観を通して構築されるもので、常に複数存在し再生産されているということだ。そのため、一つの視点やイデオロギーから全体像を理解することはできない。究極的にはどの歴史が正しい正しくないという価値判断は、神や絶対的権力者でない限りできない。

 ただし、明確な価値判断ができないからといって、その価値判断に意味がないとはいえない。むしろ、歴史の複数性を需要した上で過去の問題と向き合い歴史を紡ぐ行為は、残された人々の倫理的責任であり、非常に重要なことだ。また、リアリスト的な視点だが、人間はこうした価値判断から自由になることはできないとも言えるだろう。一様の国民像を求める国民国家にとって、統一された歴史を求める欲求はある種の逃れられない本能だ。ここで重要なのは、この本能を認識しつつも、多様な歴史観と歴史を生産しそれを公共空間で談合するということだ。

 ではどのような実践を行うべきだろうか。明確な答えは存在しないと思うが、まずは歴史や現実は自分が想像するよりもはるかに複雑で偶然から成るということを意識することが重要なのだと思う。その上でできる限り問題に関心を持ち、当事者の体験や語り、これまで先人によって作られてきた言説を通して問題を考えることが重要ではないだろうか。私も普段反省するところだが、意識していないとどうしても手近なイデオロギーや既知のディシプリンで物事を考えてしまう。また、過度に抽象化、一般化した因果関係で要因を結びつけてしまう。こうした態度を客観的に批判し、価値判断に至るまで最大限の努力をすることが、歴史を作り語るために求められているのではないだろうか。

戦後75年の語りを考える

 戦後75年を経て、各国で戦争経験者の高齢化が進み、当事者から直接話を聞く機会は減っている。ただ、悲観する必要はないと思っている。今やインターネットを通じて沢山の戦争経験談が公開されており、簡単に知識を手に入れることができる。また、図書館に足を伸ばせば、膨大な戦争に関する研究や文献と触れ合うことができる。また、原田さんのように戦争の直接の被害者ではなくてもその経験を語り継ぐ語り部も現れている。

 言ってしまえば、そもそも当事者の戦争体験を1時間の映像や一冊の本で全てまとめ切ることもできなければ、日本の戦争を一つの論文で語り尽くすなど到底不可能だ。また、当事者や語り部の「語り」も聞き手と話し手によってその都度変幻自在に形を変える。戦争を考えたことのない小学生に向けた語りと、大人を対象にした語りは、話し方も変われば話す内容も変わるだろう。私はこれを悲観的に捉えるのではなく、むしろ可能性を見出したい。つまり、自ら語るために学び、語ることで新しい学びを得ることができる。言説を生み出す行為は責任や権力を作り出す一方で、新たな言説を生み出しクリエイティブな空間にもなりうる。

コメント

 このポストでは映画や朗読の内容そのものについて言及することは避けました。被爆者の苦しみは僕の言葉では到底表現できません。そのため、ご自分自身で様々な情報を集めて欲しい、自分でも集めたいという思いがあります。

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© Hiroki Kameyama