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書評:『物語 ナイジェリアの歴史』

人文地理学、アフリカ地域研究を専門とする著者が、サハラ交易時代から現代に至るまでのナイジェリアの歴史を概観する挑戦的な新書。ナイジェリアの歴史や現代社会について学ぶ機会がなかった私にとって、目から鱗の内容だった。ただ、ナイジェリアをアフリカという文脈から捉えることに関しては疑問が残った。

June 29th, 2020

この書評は大学の課題として書いたものです。

 本書は、人文地理学、アフリカ地域研究を専門とする島田秀平教授が、ナイジェリアの歴史を概観する内容となっている。ナイジェリアは、アフリカ諸国の中でも突出した経済的可能性と人口規模を持つ国であり、「アフリカの巨人」と呼ばれている。一方で、国内に多くの政治、経済的問題を抱えていることでも知られ、その内実を知る人はごく限られている。本書はナイジェリアの歴史を丁寧に概観することでナイジェリアの政治経済、社会文化に洞察を与えると共に、ナイジェリアをアフリカの縮図として捉えることでアフリカを考える上でも重要なエッセンスを提示しようと試みる。本稿では、まず本書の内容紹介を行った後に、私の評価、感想を述べていく。

 本書はサハラ交易時代から現代に至るまでのナイジェリアの歴史を、時系列で説明していく構成となっている。サハラ交易の下、商人、支配者層のイスラーム化と現在の北部ナイジェリア地域におけるイスラーム国家群の建設が進んだ。後に大航海時代が到来すると、大西洋貿易体制の下、西アフリカは奴隷の供給地として注目された。しかし、19世紀に入ると人道主義の高まりや産業革命による社会変動から、イギリスでは奴隷制度が廃止された。奴隷制度の廃止は西アフリカにはパーム油輸出を中心とする「合法貿易」への移行を促し、ヨーロッパには内陸地への直接進出を動機づけることとなった。  そこで、イギリス政府や貿易会社は探検家や宣教師と協力して内地で調査や布教を行うことで自国の権益確保を進め、続くベルリン会議でニジェール沿岸部を保護領として確定した。しかし、当時の植民地経営はイギリス政府の実効支配が及ばない特許会社の交易独占的な性格が強いものだった。こうした批判を受けて、イギリス政府は次第に直接的な植民統治に移行していった。具体的には、イギリスはナイジェリアを北部、南部に分割し、伝統的権威者を任命首長として保護、利用して間接統治を敷くと共に、中央集権的な徴税機構の整備を進めた。ただし、それぞれの地域で異なる支配体制を導入した点に留意が必要だ。  1914年、南北保護領は合併され、現在のナイジェリアに近いナイジェリア植民地が生まれた。二つの大戦を経てナイジェリアはイギリスのブロック経済に吸収され、工業製品の輸出先、安価な換金作物の生産地として、重要な役割を果たすようになる。これに基づいて植民地統治体制も強化されたが、同時に反徴税、反任命首長制運動を招き、初期の反植民地運動が展開することとなった。さらに、第2次世界大戦後、賃金、雇用に対する不満が噴出し反植民地運動がさらに拡大したことで、イギリスもナイジェリアの自治と独立を段階的に認可することとなった。結果的に、ナイジェリアは1960年に独立を達成したものの、独立前後で導入された選挙制度や連邦制は、政党の地域化、民族化や地域の経済的・政治的分化を加速させ、ビアフラ内戦が勃発した。  ビアフラ内戦の終結後、一時の例外的な民政移管を除き、強権的な軍事政権が成立した。権力者は原油生産の利益を独占し、公然と汚職が蔓延することとなった。しかし、98年、当時の国家元首アバチャの急逝を景気に、民主化の機運が高まり、第4次共和制が成立する。そして、民政移管後成立したオバサンジョ政権の下、ニジェール・デルタの平和的武装解除や経済の立て直しが行われた。しかし、北部ではシャリーア法の厳格な施工を求めるボコ・ハラムが台頭し、徐々に国際テロリスト組織としての性格を強めていった。これらの地域、宗教問題は現在のブハリ政権に至るまでくすぶっており、ビアフラ独立運動やフラニ牧畜民と南部の農村民の間の軋轢といった新たな問題も出現している。

 以上で紹介した本書の内容を踏まえ、私の評価、感想を述べたい。まず、本書はナイジェリアの歴史を一冊の新書にまとめあげるという野心的な目標故に、利点と欠点を持ち合わせていると言えるだろう。利点としては、書かれている内容が網羅的であり、学ぶことが多いという点である。特に、これまでナイジェリアの歴史に触れる機会がなかった私にとって、未知の情報が多く含まれている本書は、新鮮で興味深かった。ただし、裏を返せば、書かれている内容がやや表面的であるとも感じた。つまり、史実として歴史的経緯を網羅的に理解できた一方で、史実の解釈や評価をめぐってはそれほど考察がなされていない。特に気になったのは、ビアフラ内戦の展開や終結の経緯、現在に至るまで禍根を残すに至った理由といった点について、ほとんど記述がなされていないことだ。ただし、前述の通り、本書はナイジェリアの歴史を簡潔にまとめることを目的としているため、こうした一つ一つの史実の解釈はこの本で取り扱う内容の射程範囲外としても捉えられるべきとも考えられる。  次に取り上げたい問題は、ナイジェリアの歴史をアフリカの縮図として捉えることが果たして可能なのかということである。著者は本書の冒頭でトインビーの議論を引用し、「アラブ主義」の北部と「ネグロ主義」の南部が共存するアフリカの縮図として、ナイジェリアを理解することができると主張している。しかし、この主張は本来アフリカ史とナイジェリアの歴史の比較を行うことで、初めて可能になるのではないだろうか。加えて、ナイジェリアをイスラーム圏の北部、非イスラーム圏の南部として分ける考える方は、植民地期以降、植民地統治のために創られた概念である。そのため、ナイジェリア、ひいてはアフリカ大陸を「アラブ主義」と「ネグロ主義」という二分法的な概念で捉えること自体が、西欧中心的、植民地主義的な考え方となる恐れがある。そのため、この点に関してはより慎重に検証された議論がなされるべきであると感じた。

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© Hiroki Kameyama