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コロナから1年

コロナから1年程度経つ。思ったことを書き留める。

February 10th, 2021

コロナが騒がれ出して1年ほど経つ。この1年、様々なことが起きた。最近では、ミャンマーで政治変動が起きた。これを軍が首謀した非合法的なクーデターとして見るか、政治的正当性を伴う新政権の樹立と見るか主張は別れているが、無闇に血が流れないことを願う。ミャンマーを例外として捉えることはできない。2020年を振り返ると多くの国で様々な社会運動や政治変動が起きた。アフリカ諸国にとっても2020年は選挙の多い年であり各国で多くの火種が生まれた。(もっとも苛烈な様相を伴ったのは、マリとエチオピアだろう。)アメリカ議会での暴動も記憶に新しい。2021年は衝撃的な幕開けであった。日本にいる僕らもこれを対岸の火事として捉えるべきではないだろう。

各国の異なる文脈を敢えて無謀にも結びつけようとするならば、マクロの共通点がなんとなく見えてくる。コロナ禍によって表出した様々な社会的課題は、これまで進んでいた社会や政治、経済に様々な変化をもたらした。結果、昔から課題として存在していたが、重要なアジェンダとしては認識されてこなかった火種が、急速に重要課題として浮上しているように思う。問題を論うときりがないが、アメリカと中国の分断、グローバル資本主義の停滞、経済的分断の拡大、社会的属性に応じた医療・保健サービスへの不平等なアクセスなどにも共通することと言えるのではないか。

昔よりも社会制度が複雑になったのか、個人主義が浸透したのか、科学技術が高度に発展したのか。理由はわからないが、共有された社会正義や平等の観念はなかなか見つからない。結果、ポピュリズムやナショナリズムの乱用や、極端なリベラリズムや個人主義、陰謀論が流行っているように思う。これらは、本質的な処方箋にはなり得ないことは明白に思うが、自由から逃走する人間の本能なのか社会病理として周囲を蝕んでいる。

こうした時代に求められる個人の倫理観と生き方とはどんなものなのか?僕にできることはなんなのか?そもそも、そんな風に社会を批評する権利が自分にはあるのか?相変わらず答えに行き詰まる。大きな視点で考えることにも限界があるだろうし、まずは身の回りのことをしっかりこなそうと思う。

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© Hiroki Kameyama