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ラゴス日記

自粛生活とこれからの将来に対する不安を抱えていた僕にとって、白黒で孤独な東京を抜け出しカラフルで喧騒に満ちたラゴスに戻る事は必至だった。

April 29th, 2021

自粛生活とこれからの将来に対する不安を抱えていた僕にとって、白黒で孤独な東京を抜け出しカラフルで喧騒に満ちたラゴスに戻る事は必至だった。

ドバイ経由、ラゴス行きの飛行機の中で、SpotifyにダウンロードしたKenny GarrettのLiberiaを何度も聞く。スピリチュアルに傾倒し最終的にはフリージャズへ行き着いたJohn Coltraneは、この時期何を考えてこの曲を書いたのだろうか。John Coltraneと同じくMiles Davisのバンドで名を挙げたKenny Garrettは何を思ってこの曲をトリビュートしたのだろうか。日本とドバイの夜景、どこまでも広がる赤土色のアフリカの大地と蒼い大海を見ながら、こんなことを考えていた。偉大なるジャズメンたちは、アフリカに夢を見た。僕がアフリカに夢を託すのも、ジャズが好きだからに違いない。

ラゴスの空港で過ごす時間は、何と言うべきか、いつも圧縮されている。気がついたら空港を後にしている感じだ。今回、ラゴスに来たのは、現地にオフィスを構えるコンサルティング企業で働くためである。寛大にも会社が空港エージェントを手配してくれていたため、飛行機から降りるとエージェントと落ち合った。無愛想なエージェントは空港職員とコソコソ話あい「何か」をやりとりすると、イミグレーションの行列を割り込み、先頭まで行くと「ここで待て」と言った。長蛇の列を横入りしたことで、同じ飛行機に乗り列で待っていた人たちは不満そうにこちらを見ていたので、居心地が悪かった。しかし、エージェントのおかげでスムーズに空港を出ることができたのもまた事実だ。

これから一緒に働くことになる上司も、空港に迎えに来てくれた。上司と共に空港のゲートを出ると、大きな黒塗りの四駆と大柄なドライバーが待っていた。このあからさまな高級車に乗りこむと、空港からの喧騒から隔絶され、初めてリラックスすることができた。車内では久しぶりに会った上司と積もる話に花が咲いた。やはり、気がつくと空港を後ろに捨て去っていた。僕はラゴスに来た。

話も尽きて車内を無言の時間が包むと、僕は到着してからの短い記憶を反芻し始めた。すると、空港に到着してからの圧縮された時間と、今自分が乗っている車の快適さに気づいた。これでもかと人を乗せながら隣を必死に走るダンフォ(庶民の足として機能する小型バス。しばしばボロボロで黄色い。)を尻目に、黒塗りの四駆は快調に追い抜いていく。幹線道路を通って今回泊まる予定の新興高級住宅街の一角に向かう道すがら、世界一巨大と言われるマココ水上スラムを下に望む。

ちょうど一年ほど前、ルワンダ人の同僚と一緒に出張でラゴスへ来た。空港についてまずやったことは、賄賂をせびる空港職員と必死に闘うことだった。空港エージェントなんてものは、存在すら知らなかった。自分と会社のお金をなるだけ節約したかったので、空港ではタクシードライバーとギリギリまで値段交渉した。もちろん、専用にチャーターした車などなかった。出張中は庶民的なメインランドのローカルなホテルに滞在し、ご飯もそこら辺の食堂で食べていた。その時自分が見ていた景色と、今自分が車窓から見ている景色があまりにも違うことに、軽いカルチャーショックを覚えた。

『貧乏人の経済学』という本に、貧しい人々は日常的に生きるための意思決定を迫られておりそれにかかりっきりになってしまう一方、富める人々はこれらの意思決定をする必要がなく生活を豊かにするために生きることができるという主張が登場する。今回、空港職員と喧嘩せず、タクシー運転手と交渉せずに、スモークグラスの完備された黒塗りの四駆でラゴスを走り抜けながらこうして余分な事を考えることができているのは、前回よりも意思決定に迫られていないからだろう。これは自分の能力ではなく、単に会社の力で実現したことである。車窓を見ながら、自然と特権的な立場を享受している自分に気づき、恥ずかしくなった。

日本もナイジェリアも社会は不平等だ。上野千鶴子先生が何年か前の入学式の祝辞でこんな事を述べていた。「東大に入学した君たちは能力ではなく機会に恵まれたのであり、このことに感謝して社会に貢献しなければならない。」ラゴスを走り抜ける車内で僕はこの言葉の意味を噛み締め、滞在中、全力で目の前の仕事をこなしていこうという決意を固くした。

仕事の話は基本的にConfidentialであるため、ここでは割愛する。一ヶ月間、全力でできる事をやりきったと思えた。この事を自分と友人で密かに共有する事ができたら満足だ。今回の滞在を経て、ラゴスがどういう街なのか、なぜ自分がラゴスに引かれるのか、少しだけ理解できた気がする。最後に、この点を説明して終わりたい。

滞在中にお会いした一部の日本人の方々は、日本に対する愛が強く、ラゴスやナイジェリアのことがあまり好きではないようだった。(ラゴスに少なからず愛憎と思い入れを持つ自分にとっては、それがとても残念だった。)そういった方々によく聞かれた質問がある。「君は日本が嫌いなのか?」この質問を受けて、人生の中で日本を好きだと感じた瞬間が、ほとんどないことに気づいた。日本は便利だとは思うものの、大学に入ってからは息苦しさをより強く感じる。弱い自己と個性しか持たない僕は、自分は自分だと社会の目を跳ね除ける強さがない。だからこそ、自由で密なラゴスに、ナイジェリアに、アフリカ大陸に強く引かれたのだろう。

国民国家としてのナイジェリアの歴史が示すように、ナイジェリアでは民族や地縁集団、宗教への所属意識が強く、国家や国民のような観念がさほど育っていない。これもあってか、単一の社会規範が不在で、様々な行動規範が併存する状態を作り出しているように思う。結果的に、個人は自分と自分の所属集団の利益のために行動しているように思う。まとめると、共同体主義的で多元主義的な雰囲気がある。

同時に、ラゴスには国際都市ならではの自由主義的、資本主義的な気風も強くある。ラゴスには世界中から人や資本が集まり、ナイジェリアや西アフリカ地域と世界の結節点になっている。そのため、多様なバックグラウンドを持った人たちが富を求めて世界中から集まっている。これが全体として合意された社会規範がないことと相まって、カオスで競争的な社会を形作っているように思う。特に、僕は短期滞在する外国人であったこともあって、より社会規範から自由だったのだろう。ラゴスは僕に逸脱者なりの意味と場所をくれた。

ただ、これは大きな代償を伴っていることも忘れてはならない。共同体主義と資本主義は相反するモーメントを持っており、この均衡はすでに崩れかけている。国内格差の拡大、特定の集団に対する憎悪や暴力の常態化といった憂うべき現状は、この事を端的に示している。ラゴスでも、昨年#EndSarsが起こり犠牲者が出た。表面化していない事件もたくさんあるはずだ。抑圧された声なき声は反響して大きな唸りとなって僕らに還ってくる。

だからこそ、僕は与えられた機会に感謝し、できる範囲でアフリカの社会や経済に貢献していきたいと思う。到着した時と同じ覚悟を持って、ラゴスを後にする。

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© Hiroki Kameyama